長嶋一茂さんの「番組っていうのは炎上させなきゃダメなんだよ」という発言が話題になっています。
2026年9月20日放送の日本テレビ系『一茂×かまいたち ゲンバ』で、一茂さんは、かまいたちの山内健司さん、濱家隆一さんと東京・日本橋の和栗スイーツ専門店を訪問しました。
店内で雑談する中、一茂さんが「1回、政治の話もしようよ」と提案。濱家さんが「『ゲンバ』で政治の話なんかしたら炎上するに決まってる」と止めると、一茂さんはスタッフへ「最近『ゲンバ』、炎上してる?」と質問します。
そのうえで、「番組っていうのは炎上させなきゃダメなんだよ。意図的に」「ぬるま湯はだめ」「常に炎上させとかないと」と持論を展開しました。
もちろん、番組内の雑談ですし、半分は一茂さんらしいバラエティー的な発言でしょう。
ただ、この言葉には現在のテレビを考えるうえで、意外と面白い論点が含まれていると思います。
本当に番組は炎上した方がいいのでしょうか。
「炎上しない番組=いい番組」ではない
現在のテレビでは、炎上を避けることがかなり強く意識されています。
出演者の発言が切り取られればSNSで拡散され、数時間後にはネットニュースになる。スポンサーへの批判や番組への抗議につながる可能性もあります。
テレビ局が慎重になるのは当然でしょう。
ただ、「誰にも怒られないこと」を優先し続ければ、別の問題も生まれます。
誰も反対しない話題を選び、無難なコメントをして、出演者同士も本気ではぶつからない。
それで炎上はしないかもしれません。
一方で、見終わったあとに何も残らない番組にもなりかねません。
一茂さんが使った「ぬるま湯」という表現はかなり乱暴ですが、言いたいことは分からなくもありません。
現在の『一茂×かまいたち ゲンバ』は、日本テレビの日曜午前10時25分から放送されているバラエティー番組です。
そんな番組で突然「政治の話をしよう」と言い出すこと自体、一茂さんらしい脱線です。
しかし、そのくらい予定調和から外れる瞬間がテレビにあってもいいのではないでしょうか。
「政治を話す=炎上する」という空気も少し不思議
今回もう一つ気になったのが、一茂さんが政治の話を提案した瞬間、濱家さんがすぐに「炎上する」と反応したことです。
もちろん、一茂さんが「歯に衣着せぬ」発言をすることを踏まえた笑いでもあります。
ただ、日本では芸能人が政治について話すこと自体が、必要以上に警戒されているようにも感じます。
政治的な発言に賛成する人もいれば、反対する人もいる。
それ自体は普通のことです。
間違った情報を流したり、特定の人を誹謗中傷したりするのでなければ、「政治について話したから炎上」という状態の方が少し不健全ではないでしょうか。
テレビで政治について話すなら、報道番組の専門家だけ。
バラエティーでは触れない。
芸能人も不用意に意見を言わない。
そんな線引きが強くなれば、政治はますます日常生活から遠いものになります。
一茂さんが本当に政治討論をしたいのかは別として、「たまには政治の話をしてもいいじゃない」という部分には共感できます。
「意図的に炎上させる」は別の話
一方、一茂さんの言葉を文字どおり受け取って、「番組は炎上すればするほどいい」と考えるのは違うでしょう。
炎上には二種類あると思います。
一つは、番組が何かに踏み込んだ結果として議論になる炎上。
もう一つは、最初から怒らせることを目的に刺激的な言葉や演出を用意する炎上です。
前者なら、番組にとってプラスになる場合があります。
「この発言はどうなのか」
「自分は逆の考えだ」
「久しぶりにテレビを見て考えさせられた」
こうした反応が起こるのであれば、炎上というより議論です。
しかし、後者は単なる炎上商法になってしまいます。
誰かをわざと怒らせ、SNSで拡散されることだけを狙う。
それでは一時的に注目されても、番組そのものへの信頼を失う可能性があります。
炎上することを恐れないことと、炎上させることを目的にすることは、まったく違います。
ここは分けて考えたいところです。
SNS時代は「少数の批判」が巨大に見える
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テレビ側が炎上を恐れすぎる背景には、SNS特有の見え方もあるでしょう。
たとえば、100万人が番組を見たとします。
そのうち99万人は特に何も投稿しない。
しかし1万人が「不快だった」と投稿すれば、SNS上には批判が大量に並びます。
それを見ると、まるで視聴者全員が怒っているように感じるかもしれません。
もちろん批判を無視していいわけではありません。
ただ、SNSで声が大きいことと、社会全体の評価が一致するとも限らないでしょう。
最近は番組で少し刺激的なシーンがあるだけで、「炎上」「批判殺到」とネットニュースの見出しになります。
しかし実際に何人が批判しているのか、どの程度広がっているのかまでは分からないケースもあります。
テレビがすべての批判に反応して表現を縮めていけば、番組制作側はどんどん冒険できなくなります。
長嶋一茂のような人がテレビにいる意味
一茂さんは今回だけでなく、かなり率直な発言をするタレントです。
同じ9月20日の『ゲンバ』でも、訪れた店のコーヒーを絶賛した流れから「日本って正直言ってまだまだコーヒーがまずいですよ」と発言し、濱家さんから「すごいとこに一石投じた」とツッコまれています。
こうした発言は、人によっては「言い過ぎ」と感じるでしょう。
しかし、全員が当たり障りのないコメントしかしないテレビが面白いかと言われれば、それも疑問です。
「それ言っちゃうんだ」
と思わせる人が一人いるだけで、番組に緊張感が生まれます。
もちろん、事実関係を無視していいわけでも、誰かを傷つけていいわけでもありません。
ただ、炎上の可能性があるという理由だけで、その人らしい意見まで消してしまえば、出演者を入れ替えても同じような番組になってしまいます。
テレビに必要なのは「炎上」ではなく「引っかかり」なのかもしれない
「番組っていうのは炎上させなきゃダメ」。
一茂さんらしい、かなり極端な表現です。
個人的には、テレビ番組が本当に炎上を目標にする必要はないと思います。
ただ、この言葉を少し言い換えるなら、かなり納得できます。
番組には、視聴者の中に何かしらの「引っかかり」を残す瞬間が必要なのではないでしょうか。
面白かった。
腹が立った。
自分ならこう考える。
あの発言について誰かと話したい。
番組を見終わったあとに、そんな感情が生まれる。
テレビにとって本来価値があるのは、炎上そのものではなく、こうした反応なのでしょう。
何も問題が起きず、誰にも嫌われず、SNSでも話題にならない。
確かに安全です。
しかし、「ぬるま湯はだめ」という一茂さんの発言が妙に引っかかるのは、今のテレビが安全であることを意識するあまり、視聴者の感情まで動かさなくなってはいないかという疑問があるからかもしれません。
炎上させる必要はない。
でも、炎上を恐れて何も言わなくなる必要もない。
そのくらいのテレビが、一番面白いのではないでしょうか。
