台風25号によって大きな被害を受けた千葉県佐倉市。その現地から被害状況を伝えていたTBS系『ひるおび』の中継映像が、別の意味で注目を集めています。

9月22日の放送では、氾濫した高崎川の影響などで冠水したJR佐倉駅周辺から生中継を実施。男性リポーターが車の浸水や周辺施設の状況を伝えている途中、冠水した道を歩いていた一人の女性が映りました。

女性はスカートが濡れないように裾をたくし上げて歩いていましたが、カメラはその女性を約19秒間撮影。途中では下半身へズームし、足元から太もも付近が大きく映る場面もありました。女性の顔には特別なぼかしなども入っていませんでした。

SNSでは「災害報道として必要なのか」「女性の身体をズームする必要はない」といった批判が出た一方、「水の深さを伝えようとしただけでは」「男性でも同じ撮り方をしたと思う」と擁護する意見もあります。

災害の現実を映像で伝えることは、テレビの役割の一つです。

ただ、そのためなら偶然そこを歩いていた一般人をどこまで映していいのでしょうか。

台風25号で佐倉市は大規模な冠水被害に

まず今回の中継が行われた背景を見ておく必要があります。

台風25号による大雨で千葉県内では河川の氾濫や浸水、土砂災害が相次ぎました。佐倉市では高崎川が氾濫し、市街地で大規模な冠水が発生。高崎川などが流れ込む印旛沼では水位が過去最高となる約5メートルまで上昇し、堤防の一部が決壊しています。

道路には浸水した車が残され、住宅でも床上浸水の被害が発生しました。

つまり、『ひるおび』が現地から中継すること自体には十分な意味があります。

映像だからこそ、水がどの程度まで来ているのか、住民がどのような状況に置かれているのかを具体的に伝えられるからです。

今回の女性が冠水した道路を歩く姿についても、「実際に人が歩くとこれほど水につかる」という情報にはなります。

問題は、そこから先です。

女性が歩く姿を映すこと自体は問題ではない

今回の映像について、「一般人を勝手に映したからダメ」とだけ考えるのも少し違うでしょう。

災害現場の中継では、避難する人、浸水した道を歩く人、片付けをする住民などが映像に入ることがあります。

そこまで全員を避けて撮影していたら、被災地の現実を伝えること自体が難しくなります。

今回も、カメラマンが女性の身体ではなく「どの程度の水深なのか」を見せようとしていた可能性を指摘する意見があります。実際、女性を捉えた映像が引きになった際には、冠水した道路の様子も確認できたと報じられています。

ですから、

「女性が映った=不適切」

とまでは言えないと思います。

むしろ考えたいのは、なぜ19秒間も追い続け、さらにズームする必要があったのかという点です。

水位を伝えるだけなら19秒も必要だったのか

仮に目的が「冠水の深さを伝えること」だったとしても、女性の全身を数秒映せば十分だったのではないでしょうか。

人が歩く姿と周囲の道路を一緒に撮れば、水深は分かります。

下半身へ寄り、太ももまで大きく映す必要性はかなり薄いように感じます。

しかも女性は、テレビに映るためにそこへ来た出演者ではありません。

災害によって冠水した街を歩いていただけの一般人です。

本人からすれば、スカートを濡らさないために仕方なく裾を上げていた可能性があります。

そんな状況を全国放送で長時間映され、それがさらにSNSで切り抜かれて拡散される。

テレビ局側に性的な意図がなかったとしても、結果として本人が望まない形で身体が強調されてしまったことは考える必要があります。

今回の批判の中心も、女性が画面に入ったことではなく、「なぜそこまで寄ったのか」という部分でしょう。

「性的な意図があったか」はそれほど重要ではない

今回の議論では、

「カメラマンは脚を撮りたかったわけではなく、水位を撮影していたのでは」

という擁護もあります。

これは十分あり得る話だと思います。

少なくとも映像だけから、カメラマンに性的な意図があったと断定することはできません。

ただ、今回については、そこを追及する必要もないのではないでしょうか。

報道で問われるのは「撮影者が何を考えていたか」だけではなく、最終的にどのような映像が視聴者へ届けられたかです。

意図は水位の撮影だった。

しかし実際には一般女性の下半身が長時間大きく映った。

その結果を見て、「もう少し引いた映像でよかったのでは」と指摘することは、カメラマンを悪意のある人物だと決めつけることとは別です。

悪意の有無ではなく、放送として必要だったかどうか。

議論するなら、こちらの方が本質的でしょう。

「現実をそのまま映す」ことが報道ではない

災害報道では、「現場をありのまま伝える」という言葉がよく使われます。

ただ、テレビは現実をそのまま流しているわけではありません。

どこへカメラを向けるか。

どこまでズームするか。

何秒映すか。

誰の映像を使うか。

すべて選択されています。

だから「現場にいたから映っただけ」では済まない部分があります。

今回も、カメラを少し引くだけで、女性個人ではなく「冠水した街を歩く人」という映像にできたでしょう。

そちらの方が災害報道として必要な情報も伝わりやすかったはずです。

問題は「女性の脚を撮った」ではなく「その画角は必要だったのか」

今回の『ひるおび』をめぐる議論を、「テレビが女性の脚を狙って撮影した」と断定するのは行き過ぎだと思います。

水位を伝える意図だった可能性も十分ありますし、男性が同じ状況で歩いていてもカメラが寄った可能性はあります。

ただ、それでも19秒間にわたって一人の一般女性を追い、途中で下半身へズームした映像が必要だったのかという疑問は残ります。

災害の状況を伝えるだけなら、もっと別の画角があったはずです。

テレビには現場のリアルを伝える役割があります。

しかし、リアルを伝えることと、そこにいる一般人を必要以上にさらすことは同じではありません。

今回問われているのは、撮影者にどんな意図があったかよりも、「その映像でなければ伝えられなかったのか」ではないでしょうか。

災害報道だからこそ、カメラの先にいるのは映像素材ではなく、突然日常を奪われた一人の生活者であることを忘れないでほしいと思います。